創業塾:第二章:何を提供できるのか

2-1:企業は社会の公器

 企業は単独では成り立ちません。社会の価値を得ながら、独自の価値を提供することで、社会の一員として認められるのです。教育を受けた従業員を雇えるのも、道路などを使って輸送できるのも、経済の仕組みやその他、過去の長い間、社会投資が行われてきたおかげなのです。それら社会基盤(インフラ)を使っておいて、生み出した価値はすべて自分達のものにすることは許されません。生み出した価値は社会に提供してこそ、です。

 社会の公器であるということは、儲けてはいけないということではありません。多くの価値を社会に提供していれば、受け取るべきその一部が結果として巨額になったとしても、それは堂々と受け取ればよいのです。「社会起業家」という言葉がありますが、本来は営利企業もすべて社会貢献することを期待される存在なのですから、わざわざ新しい言葉を作る意味はよくわかりません。農林水産業者や鉱業従事者は素材を提供し、職人が加工して付加価値の高いものに変え、商人が生産地以外で手に入れることを可能にしてきました。嵐の中を江戸へみかんを運んで大儲けした紀伊国屋文左衛門は、豪勢な遊び振りでも有名ですが、高いリスクを冒した正当な報酬ですから、非難されるいわれはありません。

 問題は社会貢献の度合いと会社利益との比較でしょう。明らかな詐欺から、社会のほとんどがまっとうと認める商売まで、灰色具合の濃淡は様々です。グレーゾーンの比較的黒に近い方に犯罪としての線引きがされていますが、それより比較的白い側は、価値判断によります。どれだけ白い方に近くとも、批判されるときは批判されます。どうせ批判されるからと開き直るのではなく、理解してもらう努力も必要です。黙っていても理解してくれるなどというのは、ムラの中での論理であり慣れ親しんだ集団では通用しますが、知らない人のいるマチの中では説明責任が発生するのです。

 

2-2:売れる商品・サービスとは、考えるコツ

 売れる商品・サービスは、顧客の欲望を満たしてあげるか、不便を解消してあげるか、どちらかです。顧客の要望は様々であり、以前は「モノ」さえ提供すれば喜ばれましたが、「モノ」が満ち足りている状況では、単純には喜ばれません。モノやサービスにより、どのように気持ちが満たされるかが大切なのです。物語が必要であり、「モノ」より「コト」が大切と言われる状況です。どんな楽しい・うれしい「コト」があったか、なのです。

 どのような商品やサービスを提供すれば喜ばれるのか、それは顧客の側に立って考えてみることです。一方的な思い込みで、便利「だろう」、喜ぶ「だろう」、利用したい「だろう」では顧客の心はつかめません。また、顧客は自分が必要としていることを分かっているわけではありません。潜在的な欲求もあるし、いつも不便に感じていても何とか工夫していて他の解決策があるとは考えてないようなことが多いのです。それを拾い上げて具体的に提示してあげることで、欲望や不便解消策として認識され、要望し、金を出す気になるのです。

 それでは具体的に、どのような商品・サービスが売れるのか。これは正解があるわけではありません。しかし、どのようにすれば売れる確率の高い商品・サービスを考えられるのかは、ある程度のセオリーがあります。まずは洞察力です。何気なく見過ごしていれば何も考え付きません。ヒントは身近なところに転がっているはずです。現場・現物・現実です。消費者相手なら家庭を見ましょう。企業相手なら相手の企業を見ましょう。そして発想力。頭を柔軟にしましょう。そのためには、”Yes, And”の考え方です。一緒に考えるのは、若者・バカ者・よそ者であり、女性です。それから想像力、分析力、…。商品企画については、またの機会に。

 

2-3:彼を知り己を知らずんば

 相手を知らないで売れる商品・サービスは考えられません。まずは顧客や顧客候補のことを知りましょう。調査会社に頼んで統計情報を得るのも大切ですが、それよりももっと、実際の相手を知ることが大切です。ターゲット層と話をしてみましょう。一般消費者なら集まる場所に行って観察することも手段ですし、集まってもらって意見を聞くという方法もあります(謝礼が必要ですが)。

 自分が何をできるのかを知らないでは、実現することができません。自分の弱点(知らないことなど)を把握しないと、補強する手立て立てられません。好きこそものの上手なれという言葉もあります。反対に苦手な分野だからこそ、経営的視点から冷静に判断できる面もあります。いずれにしても、自分の得意な分野や不得意な分野を整理してみましょう。1つの方向としては、検討している商品・サービスそのものに対する知識や経験や技術のレベルです。もう1つの方向としては、得意分野が、手を動かすことか、口を動かすことか、計画することか、先頭に立って鼓舞することか、などについてです。現場で自分が提供するのか、経営者として一歩下がるのか、などに影響してきます。

 

2-4:すべての事業はサービス業

 農林水産業であれ、建設業であれ、製造業であれ、流通業(卸・小売)であれ、飲食業であれ、なんであれ、すべての事業は「商売」であり、お客様に喜んでもらうことによって利益を得るのです。「モノ」を提供すれば良いのではなく、「コト」を提供するのです。そういった意味において、すべての事業はサービス業なのです。

 どのような事業であれ、考えることは一つ、お客様にとってどうか。お客様のためになるかどうか、役に立てるかどうか。農作物や魚介類を提供できるだけでは競合も多く選択から漏れることにもなってしまいます。安いだとか新鮮だとか美味しいだとか栄養があるといった特徴も大切ですし、健康になるとか頭が良くなるとか、そういった物語があった方が良いでしょう。土木工事なら、それによってどんなに生活が便利になるか、建設業なら企業の発展や家庭の幸せに貢献できるか、です。モノによる喜びを提供することは、製造業や流通業の使命でしょう。

 企業が相手の事業でも同じです。自分の仕事が相手企業にとってどんな利便性や不便の解消に役立っているか。できることなら相手企業の成長に貢献できること。そのために、どのような役目を担えるのか、です。部品を供給するだけでは足りません。たとえば相手がジャストインタイムを目指していれば、それに対応できること。それにより相手はコストを下げることができます。下げたコストの一部が還流してくればなお良しですが、少なくとも離せないパートナーになることはできるでしょう。

 

2-5:盲信、猛進、されど傾聴

 成功の法則はありません。顧客のことを思い、一生懸命努力しても、運がなければ失敗してしまいます。運は制御できません。ですから、あくまでも努力することが前提ですが、自分を信じて突き進むしかないのです。失敗の法則はありますが、誰も絶対に失敗するとは断言できないという面もあります。誰も信じてくれなくても自分が信じればよいのです。盲信であり、猛進なのです。

 自分の意見を通して強引に進む経営者は比較的多くいます。しかし、それらは芯の強さに裏付けられたものではなく、目を閉じ耳をふさいでいることも多いでしょう。信じ込むことは大切ですが、自分が信じることに反する事実や意見を認めないようでは、成功には結びつかないのです。たとえ意にそぐわなくとも、傾聴する態度が大切です。自分の意見だけに固執するようでは、自分自身の幅までしか伸びることはできません。リスク要因を発見することもできません。勇気をもって直視しなければならないのです。

 周りに流されてもいけません。顧客が、自分がほしいものを本当に分かっているとは限りませんし、たとえ経験者や成功者でも別の状況にあることに対して、正解を述べることなどできないのです。しかし、顧客や経験者や専門家の意見は大切です。自分が気付かなかったことを気付かせてくれる可能性があります。自分を信じて突き進みながらも、時には見直すために、それらの意見を適度に利用しましょう。

 

2-6:やりたいこと、できること、求められること

 起業・創業するのですから、やりたいことをやりたいでしょう。好きこそものの上手なれ、です。基本路線としては、やりたいことを中心に考えましょう。しかし、だからと言って、それができるかどうかは分かりません。やりたいとしても、できないことであれば無理な話ですね。そしてまた、やりたいことで、できるとしても、顧客が居なければ何にもならないのです。

 自分がやりたいことを中心に、顧客が求めているかどうかを考えましょう。それが顧客のどんな役に立つのか、顕在化していなくて潜在的かもしれませんが、顧客の立場で考えてみましょう。「買ってください、利用してください」とお願いしなければならない商材ではなく、相手から「売ってほしい、利用させてほしい」と言われるような商材を開発しましょう(商売ですから現実にはお願いするとしても、です)。顧客から求められる商売をしようではないですか。

 

2-7:商品・サービスは顧客・社会の何に役立つか

 商品・サービスは、顧客の何にどのように役立つのでしょうか。そして更には社会に対して、何にどのように役立つのでしょうか。企業は社会の公器であり、公共善を実現する存在なのです。社会全体の発展や幸せにいかに貢献できるか。それを考えようではないですか。

 「社会起業家」という言葉があります。社会の問題を解決する、社会を変革するために起業するといった意味のようです。しかし本来、企業は決して悪の存在ではなく、社会に貢献する存在です。ですから、創業・起業するとはすなわち社会に貢献することを目指すものであり、社会の問題を解決するものであり、全員が「社会起業家」であるはずなのです。欧米においては企業は儲けることを目的としていると定義されているのでこのような言葉が生まれたと思われますが、日本においては近江商人の「三方よし」に見受けられるように、儲けありきではないのです(儲けることが悪いわけでもありません)。

 個人の問題を解決する、ひいては社会の問題を解決する。言い方を変えるならば、社会を動かす歯車が不足したり摩耗したり非効率になっている状況において、社会の歯車となることを目指そうではないですか。社会に貢献する歯車になれば、その重要性は高く、不要になる確率は低くなります。起業・創業するならば、そのような存在になりたいものですね。